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大阪地方裁判所 平成4年(ワ)8545号 判決 1994年10月25日

原告

破産者尾上縫破産管財人

滝井繁男

右訴訟代理人弁護士

小林邦子

被告

興銀ファイナンス株式会社

右代表者代表取締役

小林秀文

右訴訟代理人弁護士

加藤一昶

大江忠

加藤幸則

笠井翠

吉嶋覺

向井秀史

主文

一  被告は、原告に対し、金三二億九四〇〇万六六五二円及びこれに対する平成四年一〇月八日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告に対し、金三二億九四〇〇万六六五二円及びこれに対する平成三年八月二二日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、破産管財人である原告が、被告に対し、株式会社日本興業銀行において、破産者が担保として供した定期預金証書が偽造に係るものであるとの事実を告げられ、同預金証書が担保として価値がないことを知るや、破産者に対する被告の担保に余力があることを奇貨として、自らの債権を駆け込み的に回収することを目的として被告に債権譲渡を行い、右銀行の意を受けて、被告が右譲受債権の回収のために担保及び相殺を実行したのは権利の濫用に当たるので効力を生じないなどとして、右担保の清算金(三二億九三〇一万二八七八円)及び右相殺に供された戻し利息残金(九九万三七七四円)の返還を請求したという事案である。

一  争いのない事実等

1  当事者

(一) 原告は、平成四年六月一二日午前一〇時、大阪地方裁判所において破産宣告を受けた尾上縫(以下「破産者」という。)の破産管財人である。

(二) 被告は、金銭の貸付、売掛債権及び貸付債権等の買取、回収代行並びに有価証券等の取得、運用等を目的とする株式会社であるが、その株式はすべて日本興業銀行グループにより保有され、いわゆる興銀グループの一つを形成している。坂本雅昭(以下「坂本」という。)は、本件当時、被告営業部の部長代理の役職にあった者である(証人坂本)。

2  破産者と被告との取引経過

(一) 金融取引約定

破産者は、平成元年六月三〇日、被告との間で、次のとおり、金融取引約定を締結した(乙一)。

(1) 適用範囲

① 破産者は、被告との間の手形貸付その他一切の取引に関して生じた債務の履行については、この約定に従う。

② 破産者は、被告が第三者との取引によって破産者に対する債権を取得したときも、その債務の履行について、この約定に従う。

(2) 損害金

破産者は、被告に対する債務を履行しなかった場合には、その支払うべき金額に対し、年一四パーセントの割合(三六五日日割計算)による損害金を支払う。

(3) 担保

① 破産者は、債権保全のため必要と認められるときは、被告の請求により、直ちに被告の承認する担保又は増担保を差し入れる。

② 破産者が被告に現在差し入れている担保及び将来差し入れる担保は、すべて、その担保する債務のほか、現在及び将来負担する一切の債務を共通に担保するものとする。

③ 破産者は、右担保が、必ずしも法定の手続によらず一般に適当と認められる方法、時期、価格等によって被告において取立又は処分の上、その取得金から諸費用を差し引いた残額を法定の順序にかかわらず債務の弁済に充当されても異議がなく、なお残債務がある場合は直ちに弁済する。

(4) 期限の利益の喪失

① 破産者が支払を停止したときは、被告から通知催告等がなくても被告に対する一切の債務について当然に期限の利益を失い、直ちに債務を弁済する。

② 破産者が被告に対する債務の一つでも期限に弁済しなかったときは、被告の請求によって被告に対する一切の債務について期限の利益を失い、直ちに債務を弁済する。

(5) 相殺

① 被告は、破産者が、期限の到来又は右期限の利益の喪失により、被告に対する債務を履行しなければならない場合には、破産者に対する右債権と破産者の被告に対する債権とを、期限のいかんにかかわらずいつでも相殺することができる。

② 右相殺の場合における債権債務の利息、割引率、損害金の割合、計算期間及び方法等は被告の定めるところによる。

(二) 手形貸付

被告は、破産者に対し、次のとおり、合計六七〇億円の手形貸付を行った(乙二ないし四)。

(1) 第一手形貸付

貸付日  平成三年五月二二日

貸付金額 四一〇億円

弁済期  平成三年八月二二日

利息   年9.2パーセント(三六五日日割計算)

(2) 第二手形貸付

貸付日  平成三年六月二七日

貸付金額 六〇億円

弁済期  平成三年九月二七日

利息   年九パーセント(三六五日日割計算)

(3) 第三手形貸付

貸付日  平成三年七月一一日

貸付金額 二〇〇億円

弁済期  平成三年一〇月一一日

利息   年九パーセント(三六五日日割計算)

(三) 担保の差し入れ

破産者は、前記(一)(3)記載の約定に基づき、被告に対し、別紙「担保有価証券差入表」記載のとおり、割引興業債券(以下「割引債」という。)を担保として差し入れた(乙八ないし一五)。

3  債権譲渡

(一) 被告は、平成三年八月一三日、株式会社日本興業銀行(以下「日本興業銀行」という。)から、同銀行の平成元年二月二〇日付け金銭消費貸借契約(以下「原契約」という。)に基づき破産者に対して有する元本債権二二二億円及びこれに付帯する一切の債権(利息年5.5パーセント)のうち、元本債権三二億九五〇〇万円及びこれに付帯する一切の債権(ただし、戻し利息金三四七万五五四七円がある。以下「本件譲受債権」という。)を代金三二億九一五二万四四五三円で買い受けた(乙五、一八及び証人坂本)。

(二) 日本興業銀行は、平成三年八月一三日付け(同月一五日到達)の書留内容証明郵便により、破産者に対し、右債権譲渡を通知した(乙六及び七)。

4  期限の利益喪失

破産者は、平成三年八月一九日、一回目の手形不渡りを出した(証人坂本)。

5  担保権の行使

被告は、平成三年八月二二日、前記2(一)(3)記載の約定に基づき、担保として差し入れられていた同(三)記載の割引債をすべて処分した結果、六九九億九四一七万一〇三七円を取得し、右取得金を、次のとおり、破産者の債務の弁済に充当した(乙一八)。

(一) 第一手形貸付債権元本のうち四〇七億〇一一五万八一五九円

(二) 第二手形貸付債権元本六〇億円

(三) 第三手形貸付債権元本二〇〇億円

(四) 本件譲受債権元本のうち三二億九三〇一万二八七六円

6  相殺

被告は、平成三年八月二二日付け(同月二四日到達)書留内容証明郵便により、破産者に対し、前記2(一)(5)記載の約定に基づき、次のとおり、相殺する旨の意思表示をした(乙一八、一九)。

(自働債権)

(一) 本件譲受債権にかかる利息金九九万三〇一三円

(二) 本件譲受債権にかかる損害金七六一円

(三) 第一手形貸付債権元本のうち二億九八八四万一八四一円

(受働債権)

(一) 第二手形貸付債権元本六〇億円にかかる戻し利息金五三二六万〇二七三円

(二) 第三手形貸付債権元本二〇〇億円にかかる戻し利息金二億四六五七万五三四二円

二  争点

1  被担保債権の範囲

(原告の主張)

破産者が割引債を担保に供してきたのは、被告から手形貸付を受けるために限られ、被告も先に購入した割引債を担保として次の割引債の購入資金を破産者に貸し付けてきたものであり、このような取引の実態に照らすと、破産者の提供していた担保の被担保債権としては、被告が第三者から取得した破産者に対する債権のごときは含まれず、被告の破産者に対する貸付金債権のみに限定されるものである。

破産者の署名押印した前記一2(一)(1)②記載の約定も、当事者において契約締結時に右約定に規定する事態を予期していないものであるから、右約定は、当事者間の真の合意を文書化したものとはいえず、単なる例文にすぎない。

(被告の主張)

前記金融取引約定書の条項は、約款たる性質を有するものであるところ、破産者において、少なくともこれに従う意思を有していたばかりか、具体的な担保差入の際の有価証券担保差入証書において、金融取引約定書の各条項を承認の上、有価証券を差し入れる旨の確認が常になされているのであって、債権買取が被告の目的の一つであることも考え併せると、右条項を原告主張のように限定的に解する理由はない。

2  破産者の支払停止の時期―相殺の効力

(原告の主張)

破産者は、平成二年末、七二〇〇億円以上の負債を抱え、純資産はマイナス四六二〇億円を超え、借入金の返済の大半を新たな借入金に頼っていた上、その資産の大半を占める株式は下落しながら、金利は上昇しつつあったことから、平成三年にはその資産状態は益々悪化し、金融機関からの借入も困難であり、破産者は、ついには、定期預金証書を偽造して、これを担保に差し入れるという状況であった。

右のような状況下において、破産者は、大量かつ反復的な定期預金証書の偽造等につき既に捜査機関への自首を決意し、平成三年八月一三日早朝、検察庁に出頭したため、逮捕されたものであるが、破産者において、もはや新たな借入は不可能であり、その後の長期間の身柄拘束を覚悟していたにもかかわらず、その間の支払を第三者に委ねることもなく、その経営していた料亭等を閉店するに至ったものであるから、右段階で、弁済能力の一般的かつ継続的な欠缺を外部に黙示的に表示したものである。

そして、被告は、破産者の前記状況を知りながら、本件債権譲渡を受けたものであるから、前記一6(一)及び(二)各記載の本件譲受債権にかかる利息金及び損害金を自働債権とする部分についての相殺(以下「本件譲受債権にかかる相殺」という。)は、破産法一〇四条四号の規定に抵触し無効である。

(被告の主張)

破産者は、平成三年八月一九日、一回目の不渡りを出したに過ぎず、同月一三日の段階では、破産法一〇四条四号にいう「支払停止」に当たらない。

破産者の経営していた店舗がいつ閉店になったか明らかではないが、破産者は、各店舗の営業については従業員に、資金繰り等を会計事務所担当者や証券会社社員にそれぞれ委ねており、これらの者による実務的処理が可能であるから、本件に関する限り、逮捕や閉店は直ちに右「支払停止」に当たるものではなく、本件譲受債権にかかる相殺も有効である。

3  権利の濫用―相殺及び担保権の行使の効力

(原告の主張)

本件譲受債権にかかる相殺は、破産者の危機的状況を知って債権を譲り受けた者のみが他の債権者の犠牲において優先弁済を受けることになる点で、いわゆる駆け込み割引に類似し、権利の濫用として許されない(民法三九八条の三第二項参照)。

担保権の行使についても、破産者の危機的状況における債権の価値が低下していることから、そのような債権が額面どおりの弁済を受けることは、破産手続における債権の平等的比例弁済の原則に反するとして相殺による満足が禁じられているのであるから(破産法一〇四条四号参照)、担保権者といえども無制限に弁済を受けうるわけではなく、債務者の信用が悪化した場合、担保余力が存することを奇貨として駆け込み的に被担保債権を増加させることは、他の債権者の犠牲において一部債権者に不当に利益を与えることになる点で、その担保権の行使は権利の濫用に当たるところ、被告は、その手形貸付債権の利率が約九パーセントもあり、元利とも回収するに十分な担保の提供を受けていたにもかかわらず、破産者の信用が悪化したことを知るや、期限の利益喪失のための請求を行い、かかる高利の利息金の支払を受ける利益を放棄してまで、その有する担保余力を所属グループの総帥である日本興業銀行に利用させ、他の債権者の犠牲において同銀行に不当に利益を得さしめようとしたのであるから、前記一5(四)記載の本件譲受債権にかかる部分についての担保権の行使(以下「本件譲受債権にかかる担保権の行使」という。)も、駆け込み割引に類似し、権利の濫用として許されない。

(被告の主張)

原告の主張する破産法一〇四条四号の規定の法意は、一般債権者相互間の平等的比例弁済の局面にすぎないところ、被告は、別除権者として取り扱われる担保権者であるから、右法意は妥当しないばかりか、被告は、債権買取、回収代行をその目的とするものであるから、被告及び日本興業銀行が債権回収の目的で本件債権譲渡を行ったとしても、何ら不当ではない。

日本興業銀行は、平成三年七月上旬、破産者から、従前担保として差し入れられていた割引債(第五九二ないし五九四、五九七、五九八号の合計九四五枚、合計金額三一二億九九五〇万円)を、東洋信用金庫の偽造預金証書(額面金額三〇〇億円)と差し替える旨の申出を受け、同月二二日にこれに応じているのであって、破産者の右詐欺行為がなければ、同銀行は、本件債権譲渡をしなくとも、担保としていた割引債からの債権回収が十分可能であったのであるから、このような経緯に照らすと、日本興業銀行が不当に利益を得たということはできない。

第三  争点についての判断

一  争点1(被担保債権の範囲)について

破産者の署名押印した金融取引約定書(乙一)及び各有価証券担保差入証書(乙八ないし一五)には、被担保債権の範囲の限定を窺わせるような条項は一切認められず、また本件に至るまでの破産者と被告との間の具体的取引過程において、右約定書記載の条項に反して、被担保債権の範囲を被告の破産者に対する貸付金債権に限定する旨の合意が成立したとの事情も認められないのであるから、両者間の実際の取引における被担保債権が被告の破産者に対する貸付金債権のみであったとしても、右事実をもっては前記第二の一2(一)記載の約定を原告主張のように限定的に解するのは相当でないというべきである。

したがって、この点に関する原告の主張は採用することができない。

二  争点3(権利の濫用)について

1  前記争いのない事実等に証拠(甲一ないし四、乙一ないし一九、二一、二二の2、二三及び証人坂本)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

(一) 破産者の資産状況等

破産者は、料亭「恵川」、大衆料理店「大黒や」及びスナック「川さきやもと」を経営していたほか(ただし、「川さきやもと」については、その後、破産者の弟にその経営を委ねた。)、ノンバンクを含む多数の金融機関から金員を借り入れて株式投資を行うなどしていたものであるが、その資産である定期預金、割引債券及び株券などの大半は借入金を原資としていたため、受取利息よりも支払利息が高い、いわゆる逆鞘の状態にあった。それ故、預金残高、債券額の増大に伴い、支払利息額も増大し、株式投資によるキャピタルゲインによって借入金の元金の支払が賄えない限り、借入金が増大せざるを得ない状況にあったが、破産者は、借入金により株券を購入し、これを担保として新たに借り入れ、また株券を購入するということを繰り返し、その取引額は莫大なものとなっていった(もっとも、破産者は、その財務や経理の関係を、勧業角丸証券(当時)の藤川某及び石井某、山一証券の早田某に委ねていたが、これらの者から資金援助を受けるようなことはなく、そのことは被告も認識していた。)。

しかし、株価の暴落が生じ、これに伴い、その担保価値も下落した結果、破産者は、借入先から追加担保を要求されたり、定期預金証書を担保として提供するよう要求されたため、東洋信用金庫今里支店長であった前川朝美(以下「前川」という。)と共謀の上、同金庫の定期預金証書を偽造し、これを担保に差し入れるようになった。

(二) 破産者と被告との従前の取引経過

被告は、その店舗として東京に本店を有するのみであったが、平成元年六月、日本興業銀行(大阪支店)から、破産者が借入を希望している旨の紹介があったため、同月末日近く、破産者の保有する割引債を担保に二〇〇億円を貸し付けるに至り、その後も数度にわたり貸付を行ったが(被告は、平成元年秋ころ、一時的に株式をその担保としたこともあったが、それ以外はすべて割引債を担保とする貸付であった。)、被告としては、破産者の貸付金の使途を株式投資に充てるものと把握していた上、その返済原資としても短期の金繰り償還によるものと判断していたため、これまでその債権回収に懸念を抱くことはなかった。

そして、前記第二の一2(二)記載の第一ないし第三手形貸付は、これらの貸付を最終的にまとめたものであった。

(三) 破産者の逮捕に至る経緯

(1) 破産者は、平成三年八月七日ころ、偽造定期預金証書に質権を設定していた東京シティファイナンスから、東洋信用金庫本店の質権設定の承諾を取る旨を告げられるや、右証書の偽造が発覚するものと思い、以前に日本興業銀行大阪支店副支店長の役職にあった鈴木某(以下「鈴木」という。)に対し、右偽造の事実を告げ、「川さきやもと」において前川も交えて相談したところ、鈴木は、「重大問題であって、日本興業銀行、東洋信用金庫及び同金庫の親会社である三和銀行のトップ同士で話をしてもらって解決するしか方法がない。私が話をしてくる。」などと言って同スナックを出ていったものの、その後、「とてもではないが話にならない。私自身、破産者方へ顔を出すな、話をしてもいけない、すぐに帰れと叱られた。」などと電話で連絡してきた。

(2) その後、日本興業銀行吉井副支店長、畠山資金部長、係員であった大木某及び深堀哲之が、破産者に対し、土地建物を担保として差し入れるように要求して、「大黒や」にある破産者の事務所におしかけてくるようになったが、そのころ、破産者の所有する土地建物は前記(一)記載の店舗に関するもののみであって、これら不動産には既に被担保債権額約二〇億円の抵当権が設定されていたばかりか、その負債総額は約三〇〇〇億円にものぼった。

(3) 破産者は、平成三年八月一三日、大阪地方検察庁に出頭し、前川と共謀の上、東洋信用金庫の定期預金証書を偽造し、担保に差し入れたなどとして、有印私文書偽造、同行使の嫌疑で逮捕され、右同日昼ころには、破産者が架空預金証書をもとに約三〇〇〇億円もの巨額不正融資を受けていた旨が報道された。

(四) 本件債権譲渡の行われた経緯

(1) 本件債権譲渡は、譲渡人である日本興業銀行が、譲受人である被告の破産者との取引及びその担保として被告が提供を受けていた割引債の額を把握しており、被告も、破産者に対する担保に相当の余力があることから、右担保余力の範囲内で同銀行の債権回収を図ろうとしたものであるが、その基本的合意自体は、既に平成三年八月一二日の段階で成立したものであった。

また、右債権譲渡に関する平成三年八月一三日付け契約証書(乙五)は、日本興業銀行側の作成にかかるものであり、右証書には、破産者との間の原契約証書に記載した事項に関し紛議が生じ、同銀行がその当事者となったときは、このために要した一切の費用は被告が負担するものとする条項も記載されていたが、被告において、これに異議を唱えることもなく、右条項も含めて合意されるに至った。

(2) 被告の破産者に対する第一手形貸付の弁済期は、前記第二の一2(二)(1)記載のとおり、平成三年八月二二日であったが、被告は、これに先立ち、同2(一)(4)②記載の期限の利益喪失を生じさせるに必要な請求として、平成三年八月一三日付け(同月一六日到達)書留内容証明郵便(乙一六)において、破産者に対し、第一手形貸付の弁済期にその弁済なき場合には、すべての債務について期限の利益を喪失し、右場合には、担保処分の上、債権回収を行う旨を予め通知していた。

(五) 被告から日本興業銀行に対する未回収債権の譲渡

被告は、前記第二の一5記載の担保権の行使により、破産者に対する債権回収を行ったが、結果的に担保余力を超えた部分(一九八万七一二二円)が生じ、本件譲受債権の全額を回収するには至らなかった。

そこで、被告は、本件債権譲渡契約において当初から買戻の特約があったわけではなかったが、譲渡人であった日本興業銀行に対し、右未回収部分を買い戻してもらうべく、同銀行に対し、一九八万七一二二円及びこれに付帯する一切の債権を再度譲渡し、平成三年八月二二日付け債権譲渡通知書(甲四)をもって、破産者に対し、その旨を通知した。

2(一)  右認定事実と被告の前記第二の二3記載の被告の主張(後段)を総合すれば、日本興業銀行の認識としては、平成三年八月七日ころ、破産者から、定期預金証書を偽造した上、これを担保に供していた旨の事実を告げられるや、同年七月二二日に従前の担保であった額面総額約三一三億円もの割引債をすべて偽造の預金証書と差し替えてしまった結果、その担保が全く空虚なものとなったことのほか、破産者は、担保として提供する定期預金証書を偽造しなければ融資を受けられないほど、その財産状況が著しく悪化しており、他の債権者も真実を知ったとすれば、一斉にその債権回収に走り、そうなれば破産者の信用悪化は決定的なものになること及び右事実は早晩公になることを知っていたものと優に推認しうるところである。

(二)  これに対し、被告は、債権の買取、回収代行をその目的とするものであるから、本件債権譲渡が同譲受債権の回収を目的とするものであったとしても、何ら不当ではない旨主張し、また、証人坂本は、被告が独自の営業方針及び経営方針を持つ日本興業銀行とは全くの別法人である旨証言する。

しかしながら、被告にとって、破産者は、第三手形貸付当時、貸付金額合計六七〇億円という大口顧客であるが、破産者から担保価値に何の不安もない割引債の担保提供を受け(その額面額は合計七一九億四九一五万円にものぼる。)、担保余力としても実に三二億円以上あった上、破産者の貸付金の使途等を把握し、これまでその債権回収に懸念を抱くこともなく担保の差し替えや追加等により借入の継続に応じていたというのであるから、直ちに担保権を行使しなくとも、第一手形貸付については年一四パーセントの遅延損害金、第二及び第三手形貸付についても年九パーセントの利息金を獲得しうる地位を現実的にも有していたというべきであって、被告の立場に関する限り、第一手形貸付の弁済期が間近に迫っていたとしても、自らの破産者に対する債権回収の具体的必要性は生じていなかったといわざるを得ない。

それにもかかわらず、被告は、日本興業銀行の依頼に応じて、その額面から戻利息のみを差し引いた金額を代金額とし、逆に原契約についての紛議が発生した場合の費用負担者を被告と定めるなど被告に不利な特約も付加された本件債権譲渡契約を締結しているが、これにより被告にいかなる利益が獲得されたのか理解し難いところであるばかりか、前記1(四)(2)記載の期限の利益喪失の請求に着目すれば、請求による喪失事由(前記第二の一2(一)(4)②記載)は、当然喪失事由(同①記載)と対比すれば明らかなように、所定の事由(「破産者が被告に対する債務の一つでも期限に弁済しなかったとき」)が発生し、かつ、その後に請求することにより、初めて期限の利益喪失の効果が発生するものであるところ、金銭の貸付等をその目的とする被告にとって、期限の利益喪失手続という日常茶飯事に属する事務について法律的知識の誤解があるとは思われないにもかかわらず、期限の利益喪失の場合には担保を処分して債権回収を行う旨まで明記した上、右所定の事由発生よりも相当前に、しかも、債権譲渡契約証書(乙五)の作成と時を同じくして、右通知を行っているのであって、被告の立場としては、前記のとおり、自らの債権回収の具体的必要性も生じていない以上、これに伴って本件譲受債権の回収を行ったものとはいえず、他方、遅延損害金や約定利息金の獲得という利益を放棄し、かつ、大口顧客の喪失という危険を冒してまで、期限の利益喪失及び担保権行使を事前に予告する取引上の合理性は何ら存しなかったというべきであり、かえって、未回収となった本件譲受債権の再譲渡に着目すれば、破産者の逮捕の報道や多額の債務不履行という事実の発生後にあっては右債権はほとんど無価値であり、本件債権譲渡契約において買戻の特約等がないにもかかわらず、これを日本興業銀行が再度譲り受けることにしたのは、本件債権譲渡が専ら日本興業銀行の利益を図る目的に出たことの裏返しであるともいいうるところである。

そうであるならば、結局、被告としては、破産者が、第一手形貸付の弁済期における弁済をなしえないことを認識しており、右弁済期の経過と同時に期限の利益を喪失させて直ちに本件譲受債権回収の措置に出る意図を有していたものと推認しうるところであり、そして、被告が右のように専ら日本興業銀行のために自らの利益を放棄してまで直ちに本件譲受債権の回収に出ようとしたのは、単に同一企業グループとしての利益追求などという漠然とした理由に基づくものではなく(証人坂本の前記証言参照)、日本興業銀行が、前記(一)で判示した認識のもとに、興銀グループに属する被告の担保余力を利用して、一刻の猶予もなく破産者に対する債権を駆け込み的に回収しようとして、被告に実情を告げて本件債権譲渡を依頼した結果、被告としても、遅くとも本件債権譲渡契約の合意に達した平成三年八月一二日までに日本興業銀行の認識及び意図を理解し、実質的に無担保となった同銀行の債権回収に助力するためであったと推認するのが相当である。

以上の認定に対して、証人坂本は、被告が日本興業銀行とは全くの別法人である旨強調するが、右は、一般論ないし形式論の域を出るものではないから、前記推認を妨げるものではなく、また、同証人の証言中には、破産者に対する債権回収に懸念を抱き担保権行使を考えたのは、破産者が一回目の手形不渡りを出した平成三年八月一九日であるとする部分も存するが、破産者がその財務や経理の関係を証券会社社員に委ねていたとはいえ、これらの者から資金援助を得られるわけではなかったことを被告も認識しており、また、同月一三日付け通知書(乙一六)をもって、直ちに担保処分の上、債権回収に充てることまで自ら通知していること等に照らしても、右証言部分は到底信用することができない。

3  以上の事実を前提として、被告の相殺及び担保権の行使が権利の濫用に当たるかにつき検討するに、もとより、取引社会において、資力の乏しい相手方の資産からいち早く自らの債権の満足をえた結果、他の債権者が遅れをとることになったとしても、それは自由競争の必然の結果ともいいうるところであって、特に本件被告のように、充分な担保設定を受けるなど(前記第二の一2(一)(5)記載の相殺も、同(4)記載の期限の利益喪失条項と相まって担保的機能を有することは明らかである。)債権回収により勤勉であった者について、右の点のみを理由として、その債権回収行為を非難することはできないというべきである。

しかしながら、このような取引社会においてもおのずから限度があり、権利の濫用にわたるような場合には、その権利行使が許されないことは当然であるところ、これについて本件をみるに、前記認定によれば、日本興業銀行は、破産者から担保として供した定期預金証書の偽造という犯罪行為の存在を密かに告白され、その信用悪化が決定的なものになることを知ったが、興銀グループに属する被告の担保余力を利用すれば、その債権を駆け込み的に回収することができることから、その旨を被告に告げて積極的な協力を求めたところ、被告は、これに積極的に加担して専ら同銀行の利益を図ろうとしたものであり、被告による債権回収の具体的方法としても、当初から自らの破産者に対する債権であった第一手形貸付債権元本の少なくない部分の回収についてはわざわざ相殺によるものとし、本件譲受債権のほぼ全額の回収については担保権の行使によるものとしたのも、譲受債権にかかる相殺によったのでは破産法一〇四条四号の規定に抵触する可能性を認識していたため、これを可及的に回避しようとした証左といいうるところであって、これらの事実を踏えるとき、被告としては、自らの債権の回収という通常の事務処理の形態をとって、処理の適正を装ってはいるものの、その実態は、破産者の一般債権者の犠牲において、専ら日本興業銀行の利益のために債権の回収を図るべく積極的に加担したものであって、その背信性には極めて重大で著しいものがあるといわざるを得ないから、右相殺及び担保権の行使はいずれも権利の濫用に当たり、効力を生じないというべきである。

これに対し、被告は、担保権が、破産法上、別除権として取り扱われることを理由に権利の濫用に当たらない旨を主張するが、担保権の行使という一事をもって、権利の濫用に当たらないということができないことはもちろん、本件では、被告は、既に判示したとおり、相殺による譲受債権の満足という法的構成をことさら回避しようとした意図が窺われるばかりか、仮に被告がその担保権行使後に発生する清算金返還請求権を受働債権とし、本件譲受債権を自働債権とする相殺による回収を行ったとしても、その実質は本件と何ら異ならないところ、担保権の行使との先後関係いかんによって、その結論を正反対とする合理的理由は見い出しえないのであるから、被告の前記主張は採用することができない。

また、被告は、日本興業銀行が、従前、破産者からの申し入れに応じ、その担保として提供されていた割引債を東洋信用金庫の偽造預金証書と差し替えた経緯に照らし、日本興業銀行が不当に利益を得たということはできない旨主張するが、専ら同銀行の利益のために行動した被告として、右銀行の地位を援用することが許されないわけではないとしても、特段の事情のない限り、他者の違法行為の存在をもって、自己の行為を正当化することはできないものと解するのが相当であるところ、本件においては、右特段の事情は認められないばかりか、日本興業銀行は、破産者からの犯罪行為の告白を逆に利用し、同様に偽造定期預金証書を差し入れられた可能性のある破産者の他の債権者の利益を害しても、被告の協力を得て本件譲渡債権の回収を図ろうとしたのであるから、被告の前記主張は採用することができない。

4  なお、遅延損害金の起算点について、原告は、被告の担保権行使の当日である平成三年八月二二日として請求するが、その返還時期に関する何らの主張のない本件においては、期限の定めのない債務として、原告の請求がなされたことの明らかな訴状送達の日の翌日である平成四年一〇月八日と解するのが相当である。

第四  結論

以上によれば、争点2について判断するまでもなく、原告の請求は右の限度で理由がある(なお、仮執行宣言は付さない。)。

(裁判長裁判官中路義彦 裁判官瀨戸口壯夫 裁判官田中秀幸)

別紙担保有価証券差入表<省略>

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